ハラジョーな人生|1987年〜(2/3)
さて、見事に仕入先をなくした私。
でも注文は入ってくる。
ボーッとしているワケにもいかず、
2ヵ月後にドイツで行われるI.DS(international dental show)という
歯科材料の見本市を見に行きました。
1987年のことです。
なんと、そこでスイスのメーカーと取引できる話がついたのです。
嬉しさのあまり、ついでに観光でもしようと
ドイツやイタリアを4000キロも走破しました。
そして、スイスとの取引にめどが立った私は調子に乗り、
その秋には会社を株式会社に
(名前はパシフィック・デンタル・リサーチの頭文字をとってP.D.R.)したのです。
(株)P.D.R.は、スイスから仕入れたダイヤモンドバーをきっかけに、
その後もマスクやグローブなど取扱商品を少しずつ増やしていきました。
取扱商品を増やし、ダイレクトメールを発送する。
この繰り返しが5年ほど続きました。
そして、1992年。
当時は、全国的に通販をしている同業は3社ありました。
彼らとの差別化を図るため、
他がイヤがって取り扱っていない製品を扱うことにしました。
そのひとつが石膏です。
石膏はカサが張るは重いはで、通販には不向きに違いありません。
でも、他がやっていないのですから、売れるに決まっている。
「医療用具製造業」という国の許可もとり、歯科用石膏を開発したところ、ヨミ通りしっかり売れました。
しかも、加工工場を増設して販売にもテコ入れしました。
私なりに勝負を賭けたのです。
そのころからです。
これまでの出来事がウソのように会社がうまくまわり始めたのは。
年商がようやく1億円を超えました。
お客様からは安いし品質も良いと言われるようになりました。
不景気で、歯医者さんも価格に敏感になってきたようでした。
不景気のおかげで売上が上がったなんて不謹慎ですが、
私、不景気ありがとうと言いたい気持ちでした。