ハラジョーな人生|1987年〜(3/3)

 

国内のメーカーも私たちの存在を無視できなくなってきたようで、

この頃には製品を売ってくれるようになりました。

問屋からの圧力を受けながらも

「P.D.R.さんは売ってくれるから」と言ってくれたのです。

メーカーさん、それは正しい選択だ。

 

1万件の顧客を持つまでになりました。

「午後2時までのご注文は当日発送」を売りにしていた私たち。

手作業ではテンテコマイしてしまいますから、受注管理システムを導入しました。

商品管理・顧客管理はバッチリこれでOK。

金払いの悪いお客さんもバッチリわかるシステムにしましたから、

支払方法は商品代金引換のみから、郵便振込や自動引落しなど

後払いも受けられるようになりました。

 

当時のポリシーは「売れるものしか扱わない」でした。

だから、取扱い品目は100種類しかありませんでした。

たぶん、日本一取扱い品目が少ない材料屋だったでしょう。

 

ダイレクトメールだけでなく、FAXでの案内も始めました。

「こんな商品も始めました」というタイムリーな製品情報はもちろん、

新しい技術の紹介なども載った広報物を顧客に送信したかったのです。

この広報物づくり、カリスマを目ざしていた頃の修行や、

業界紙に記事を書いていた頃の知識がとても役に立っています。