2015年12月Vol.41
新しい年もはや1ヶ月が過ぎようとしています―。時が経つのは早いですね。
年々早くなっているような気がします。
2016年もサクッと小噺にお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
さて、昨年わたしは入籍したのですが、残念ながらサクライ家ではそれほど感動的な出来事ではなかったようです。大学進学と同時に実家を出ているので(10年前)、〝家を出て、よそに嫁ぐ”感覚が希薄なんですね。もちろん私個人の中ではいろんな葛藤がありましたが、家族内では「結婚?うん、いいんじゃない?」とサラッとしたものでした。ちょっとサミシイ…。
両親が寂しがってくれないので、私はさだまさしの〝親父の一番長い日”や山口百恵の〝秋桜”を聞いて一人でしんみりしていました。そしたら母から電話が!「ラジオで秋桜を聞いたよ」おぉ、私も聞いてますよ、お母さん!!!
♪秋桜2番冒頭の歌詞♪
あれこれと思い出をたどったら いつの日も一人ではなかったと
今更ながらわがままな私に 唇かんでいます
母 「ビックリするくらい当てはまらないね」
私 「えっ?」
母 「歌詞が1つも当てはまらないんだよ。特に2番の冒頭。アンタはいつも一人で頑張ってた」
えぇ~~~~??!! ちょっとお母さん、アナタ何をおっしゃいますか?!
中学生のとき、私がいじめっこグループに目をつけられて、学校に行けなくなったことを覚えていますか?「学校に行きたくない」と言う私に、母は「じゃあ映画に行こう」とウォーターボーイズを観に連れて行ってくれました。その態度に気楽になって、登校拒否が深刻化する前に学校に戻れたんです。
カナダの大学に通って3年目、初めての彼氏にフラれてボロボロになったことを覚えていますか?時差があるから話す時間を合わせるのも大変なのに、ずっとSkypeで励ましてくれたではないですか。太平洋の西と東に分かれて、12時間の時差があって、それでも私の一番近くに居続けてくれたのは、母でした。(Skype:インターネット経由の無料通話ソフト)
母は「あーしなさい、こーしなさい」を一切言わずに「好きに生きろ」と私を放任する一方で、私が傷ついた時には必ず寄り添ってくれました。私には母がいると分かっていたから、怖い学校にも行けたし、遠い海外にも行けた。それなのに、「アンタはいつも一人で頑張ってた」って…。
私 「お母さんにいっぱい助けてもらったよ」
母 「おっ、そうかい。何も覚えてないけどそりゃよかった♪(嬉しそう)」
…脱力してしまってそれ以上は話せなかったけど、いつか、ちゃんと感謝を伝えようと思います。