福島の先生にお会いしてきました。

今年6月初旬、福島県郡山市の歯科医院様からお手紙を頂戴しました。
3、5、7月に「P.D.R.REVIEW」と題して、皆様に東日本大震災から2年後の被災地レポートお届けしたしたあの冊子をご覧になった方でした。
『ぜひ福島の現状や除染作業を見に来てください』とのことでした。通販会社なのに顧客回りを得意とする竹内ですから、行かないわけにはいきません。

6月中旬、除染作業が予定されていた日に合わせて医院様に伺いました。でも、なぜでしょう。どう見てもそんな作業が行われている雰囲気はありません。
聞けば、建物の除染作業は一軒一軒順番におこなっていて、お隣さんが完了した翌日になるそうです。ただし、作業スケジュールは状況によって変動するので、正確な作業日は前日にしかわからないそうです。しかも、それさえ確実ではなく、とつぜん他地域で線量が高くなったエリアがあれば、優先順位はすぐにひっくり返ってしまうとのこと。予定通りに進まないのは、もう慣れっこになってしまったんだそうです。

 家屋の除染作業とは、建物に足場を組み、高圧洗浄機の水で洗い流します。建物以外の花壇などは地表から15cmくらいの土を取り除きます。取り除いた土は写真のように詰められますが蓋などはなく、ただ単純に積み上げた状態です。それがいつ撤去されるかはわからない。住民の不安材料が文字通り『山積み』になっているのです。

 

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院長先生と幼稚園児の娘さんと近所を歩きながら、除染作業が完了した場所や、これから除染が始まる場所を教えていただきました。
娘さんが、雑草で覆われた空き地の横を「あぶない、あぶない」と一人で呟きながら歩く光景が、郡山の問題を物語っているようでした。
目に見えない、感じ取ることのできない放射線との戦い。その結果が出るのは何十年後かになるかもしれない。本当に長くつらい戦いです。

訪問した時の話では、線量が増せば何度でも除染作業を受けられると聞いていました。…が、私が愛知県に戻った翌日のニュースで、除染作業の回数に限りを付けると伝えていました。
なんともやるせない気持ちに覆われます。

正直に言うと、私は福島を訪れる前「引っ越せばいいんじゃないか」という思いをわずかながら持っていました。しかし、郡山の風景を見ながら自分ならどうするか考えました。だって放射線以外は震災前と全く変わらないのですから‥‥。
そんな故郷がありながら、全く新しい土地に移り住み、今まで同様の収入を得て家族を養っていく。あるいは家族を県外に移し、私が仕送りを行い続ける二重生活ならどうか。どちらにしても自分はやっていけるだろうか?妻はどう思う?また3人の子供達は無事育つだろうか?…私には自信がありません。わかりません。今回の訪問でまたもや考えさせられました。

今まで東京電力だけで対応してきた福島原発の汚染水漏れ処理ですが、今後は国をあげて取り組むことになったと言います。でも解決のめどは立ちません。福島県の水産業は今も操業が停止したままです。人々の生活を支えてくださる第一次産業の皆様は、全く出口の見えない状況の中にいます。同じ国民としてどうすればいいのでしょうか?

皆様に今の福島県の現状をもっとお伝えしたいと思うのですが、地区により本当に多様な問題があるようです。今回私はわずかな方と、ほんの一瞬の時間を共有させていただいたにすぎません。
しかし、「私が見た姿を少しでもお伝えしたい。何もしないよりはこうして皆さんにお伝えした方がいいだろう」という思いで今回のブログの記事として紹介することにしました。

私は、個人的には原発反対です。
我が家の半径60kmのところに原発ができるとしたら反対します。(今回の訪問した医院様は福島第一原発から半径60kmぐらいでした)
私は実家と1kmも離れていないところに住んでいます。田舎なので実家には少しの畑もあります。会社を辞めて、アルバイトなどをしながら収入が減少したとしても、家族にも手伝ってもらいながら地区の皆で助け合って細々と暮らせます。「将来の日本をより強くするために原発を作ろう」と言われても、福島を見ると、今のままでいいから原発はいらないと思うのです。
関東地区の電力を賄うための福島第一原発が停止して2年半。他の原子力発電も全て停止しても、火力発電の再開などで電力が供給されている様子をみると、原油や石炭などの輸入費の増大分は自然エネルギーの利用などで乗り越えられるのではないでしょうか。そう思うと現在の日本では原発はリスクの高すぎるエネルギーになったのだと思います。