谷川あかね篇|1997年。突然の海外出張。
入社2年目のときです。
ラテックスグローブというゴム手袋があるのですが、
その商品にクレームが殺到したことがありました。
歯科医院から「サラッと感が足りないから、使い勝手が悪い」と
意見が次々と届いたのです。
取り引きしていた輸入代理店の担当者に問い合わせても、「品質は規格内。問題なし。」の一点張り。
このままではラチがあかないと判断した社長は、私に言いました。
「谷川さん、マレーシアにあるメーカーに行って、改善案を見つけてくれんやろうか。
あ、オレは行けないんだけどさ」
なんとあっさり「行け」という社長でしょう。
任せっぷりのいい社長だと褒めてあげたいのは山々ですが、
今度ばかりはそうもいきません。
マレーシアでメーカーと交渉するなんて……
焦らない人がいたら見てみたい。
しかし、泣きごとを言っても仕方ありません。
数日後、私は大きな旅行鞄をもって、空港に佇んでいたのでした。
そして。
語学は多少できるつもりでしたが「多少」は「ほぼできない」と
同じ意味だということを痛感しました。
現地工場での交渉は難航しました。伝えようとする品質がうまく伝わらない。
できるだけ平常心を保って交渉しようと努めていたのですが、
時にキレた私は「どうしてわかってくれないんですか!」と
日本語で怒鳴ってしまったこともありました。
輸入代理店の担当者は「まあまあ、」と日本語で言うばかり。
でも、怒鳴ってしまった自分を、自分で恥じた。
工場の人たちも、私のつたない英語での説明を、
一生けんめい聞き取ろうと真剣に耳を傾けてくれていたのに……。
なんとか「明日までに徹夜で改良品を作る」という約束を取り付けてホテルに戻ると、
張りつめていたものが一気に解かれて、ドッと疲れや不安の波が押し寄せてきました。
明日、また工場に行って、製品の品質が改善されていなかったらどうしよう?
工場の皆が徹夜で作ってくれた商品に、NGを出さなければいけないのか?
泣きながら会社に電話したこともありました。
電話口で社長は
「何しに行ったんだ?会社の皆が、自信を持って売れる商品を待っているんだぞ。
自分の責任を考えたら、そんなことじゃいかんだろ」と一喝。
慰めの言葉を期待していたわけではないけれど、
心温まる言葉をいってもらえなかったことには驚きました。
でも、次の瞬間、電話で苦情を受け、お客様に謝罪するパートさんたちの顔が目に浮かびました。
いま思えば、任されているというのはそういうことなんです。
その日の夜、メーカーが本当に徹夜で改良品を作っているのか、
輸入代理店の担当者を引き連れて、タクシーで工場まで見に行きました。
これにはメーカーの人も驚いていました。
そもそもそのメーカーに女性バイヤーが来るのは初めてだったし、
ろくに通じない英語で品質のことをガンガン要求してくるというのも初めてのことだったそうです。