谷川あかね篇|1995年1月。P.D.R.を知る。
人生の図面に、1本の線を引いては消し、また引いては消す。
そんな繰り返しでした。
再び、求人雑誌をめくる日々が続きました。
設計図を描いていくのは、なかなか難しいものです。
どの会社の情報を見ても、一長一短でなんだかピンとこない。
そんなとき、求人誌で、PDRの求人広告を目にしました。
というかイヤでも目に止まってしまったのです。文字だらけの広告でしたから。
隅から隅までギッシリ文字が書かれている。
「伝えたい」という思いがそこにあるような気がして、
思わず読みはじめてしまいました。
社長が会社を興したときのこと。
保守的だった歯科材料販売の世界に通信販売のシステムを導入し、
価格破壊を起こしたこと。
品質クレームが頻発し、歯を食いしばりながら品質向上を実現したこと。
安く商品を提供するために、単身海外に渡り取引先探しをしたときのことなど、
さまざまな思いがそこには綴られていました。
そして、最後にひとこと。
「私と一緒に会社を切り盛りしてくれる方を募集します」
一緒に会社を切り盛りする……
小さな会社で得られていた満足感を、私は思い出していました。
会社説明会に参加し、社長にお会いして話を聞き、実際に会社を見学に行って、
私はどうしても入社したいと思いようになりました。
細かなことはどうでもよかったのです。
なにか「熱」のようなものに惹かれたのだと思います。
それは熱気かもしれませんし、情熱かもしれません。
端っこでポツンと仕事をするのではなく、熱の真ん中で仕事ができる。
そんな期待感がPDRという会社にはありました。
「もし不採用なら、パートで採用してください」とまで言ってしまっていました。
熱が伝染したのでしょうか。いま思えば私も相当熱くなっていました。
入社したいと思っていたのはいいのですが、不安がなかったわけではありません。
じつは、資格に「要普免」とあったのですが、私は立派なペーパードライバーでした。
そんな小さなこと、と笑わないでください。
クルマの運転をしなきゃいけないのが、本当に不安だったんですから。