2014年12月号Vol.29
早いもので、2015年ももう1ヶ月が過ぎようとしています。
サクッと小噺のサクライです。今年もよろしくお願いします。
2015年の目標は決めましたか? 私は「世界史の復習」です。高校生の時はわりと好きな科目だったのです
が、それ以降は特に縁もなく、すっかり忘れてしまいました。だって世界史なんて知らなくても日常生活で困らないし。仕事でも困らないし。
しかし、先日の旅行でつくづく感じたんです。「世界史の知識は、世界を面白い場所に変えてくれる」と。年末に初めてトルコのイスタンブールを訪れたのですが、ここは東西の歴史の交差点でした。古来から、東と西が貿易をしたり戦争をしたりしていました。なので旅行前に、慌ててイスタンブールの歴史を読み直したんです(ガイドブックも旅行用の荷物も直前まで準備しないのに、歴史本はだいぶ前から読み始めました)。
読んだ中で一番面白かったのは、1453年に起きたコンスタンティノープルの陥落です(当時、ビザンチン帝国の首都だったイスタンブールは、皇帝の名にちなんでコンスタンティノープルと呼ばれていました)。500年代には西はジブラルタル海峡から東はペルシアとの境まで、北はイタリアのアルプスから南はナイルの上流までを支配した大国ビザンチン帝国(東ローマ帝国)もすっかり弱体化し、1400年代には首都コンスタンティノープルとその周辺を残すのみになっていました。当時の西欧はルネッサンスだの大航海時代だのと派手な時代なのですが、ビザンチンは時代に取り残されていたんです。
そんな時、ビザンチンの首都コンスタンティノープルに目を付けたのが、東方のアナトリア地方からやってきたオスマントルコです。しかしコンスタンティノープルには鉄壁の防御を誇る城壁があります。首都コンスタンティノープルをぐるりと囲む城壁は、一番外側の堀から内側の壁まで60mもあり、高さは17mもあるんです。
1000年におよび数々の外敵がコンスタンティノープルに挑み、城壁を攻略しきれず撤退して行きました。
1453年、それを打ち破ったのがオスマントルコのメフメット2世でした。
城壁に対して、彼は大砲と人海戦術で挑みます(兵士の数はトルコ側が12万人、ビザンチン側が7000人)。
自分の部下が城壁から落とされる石から逃げ帰って来ると、容赦なく斬りつけたというヒドイ人ですが…。
そんなビザンチンとトルコが、1453年4月12日から5月29日までコンスタンティノープルで繰り広げた激戦の名残を、今でもしっかり見る事ができます。廃墟となって城壁は残っていますし、小高い丘から眺められる地形も同じです。キリスト教国ビザンチンの首都だったコンスタンティノープルは、イスラム教国オスマントルコの首都に変わって、市内にたくさんあった教会はモスクに作り変えられています。イスタンブールの街を歩いていると、「あぁ、ここでメフメット2世が…」とか「あぁ、ここでコンスタンティヌス11世が…」など、当時の英雄達に想いを馳せてしまいます。胸がいっぱいになって涙まで出てきました。
学生時代はかなり英語が話せましたが(今はほとんど話せない)、その頃の旅行より楽しかったです。「旅行を面白くするのは、言語よりも歴史だっ!!!」と思いました。そんな訳で、今年の目標は世界史!NHKの高校講座、図書館、本屋さんを活用したいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。皆様にとって楽しい年になりますように。