2021年4月Vol.98 サクッと小噺
※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。
※スタッフの名前はニックネームで記載しています。
もうすぐ母の日ですね。私の母はaggressive「アグレッシブ」(攻撃的な、意欲的な、オシの強い)です。
中学校でこの単語を知った時に「お母さんはaggressiveね」と言ってあげたら喜んで、その後も何かというと、自分から「私ってaggressiveだからさ」などと言っています。別に褒めてないぞ。
さて、一昨年、私は脳動脈瘤が偶然見つかって開頭手術をしたのですが(おかげさまで今は元気です)、この時も母のaggressiveさに圧倒されました。
電話で「私には脳動脈瘤がある」と伝えた時、母の第一声は「よし!よく破裂前に見つけた!えらいぞ!」でした。脳動脈瘤が破れたらクモ膜下出血を起こすので大変です。だから破裂前に見つかったのは確かにラッキーですが、第一声で「よし!」が出てくるって強いと思いませんか。そのあと母は片道5時間かけて運転をして、深夜に私の家までやってきて、「よしよし」と私を抱きしめて、すぐイビキをかきながら寝ました。
そして翌朝6時に起きて「もう帰る」と言います。「5時間もかけて来たんだからゆっくりしていけばいいのに」という私に、「友達とランチの約束してるから帰る」という母。
娘の一大事だからランチは延期で…と言っても良い案件だと思うのですが、母は帰って行きました。
手術にはリスクと痛みが伴います。私はしばらく悩んでいましたが、ある日覚悟が決まりました。
脳動脈瘤は私の頭の中にあるのだから、まわりがどんなにサポートしてくれたって、最後は私が覚悟を決めるしかない、と理解したのです。母に電話して、「きっとお母さんは手術を代わってやりたいと思ってるよね。でも私がやるしかないんだ」と話したら、「代わりたくなんかないよ。だって痛いもん」と返されました。絶句する私に対して、母は続けます。「きっとすごく痛いよ。でもアンタはこの先50年も60年も生きるんだから、これからも人生の苦痛はまだ沢山ある。その時に、“頭切った時よりマシ”と思えたら強い。逃げるな、攻めろ、脳動脈瘤を人生の糧にしろ」と。私は鼻がツーンとして、答えることができませんでした。
さて、手術後、ICU(集中治療室)で意識を取り戻した時、まず戻ってきたのは聴覚でした(視力は回復まで時間がかかりましたが、聴覚は一瞬で戻ってきました)。「手術は成功」と、両親と妹と夫の声が聞こえました。
母「調子どう?」
私「痛い。頭が爆発してるみたい」
母「爆発はしてないけど、まだ割れてる」
私「・・・まじか」
この時、私の頭には20cmほどの傷があり、その一部に太い管がささっていて、血がドクドクと排出されていたそうです。そんな娘を見て、感極まった母は「よく生きてるねぇー!エライねぇー!」と、私の頬をバシバシ叩きました。(頭の手術を終えたばかりの人の頬を叩ける人がいるでしょうか?! )叩かれた時、脳天を突き刺すような痛みでしたが、あまりの痛さに声が出なくて、私は「痛いからやめてっ」と抗議できませんでした…。
さて、娘の手術を、母は「攻めの手術」と名付けて気に入っていました。脳動脈瘤は破裂したら大変ですが、破裂しない限りは普通に生きていくことができるので、破裂しない方に賭けて手術しない人もいます。だから破裂前に手術で脳動脈瘤を処置する姿勢を、母は「攻め」と認識して、それが彼女の好みに合ったのです。
そして母は「私も攻める」と言い出して、娘の頭の手術の3ヶ月後に、十何年も悩まされていた足の手術をしました(扁平足とリスフラン関節損傷の手術。手術しなくても歩けるけど、手術すればもっと歩ける)。その際に母も全身麻酔をしたのですが、目覚めた時の頭痛と気持ち悪さにビックリして、「全身麻酔だけでこんなに辛いのか。全身麻酔プラス開頭手術した人の頬を叩いたのはマズかったな」と気づいたそうです。この時、母のお見舞いに行ったら、「ICUでほっぺ叩いてごめんね」と言われました。「何をいまさら!」と笑ってしまいました。
もうすぐ母の日ですね。今年も何かあげたいのですが、母は「コレ好きじゃない」とか「いらない」とか平気で言うので、プレゼント選びは緊張します。Aggressiveな母の好みに合う何かを見つけられたらと思います。
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サク
歯ブラシ
シャカシャカ トルネ