2022年9月Vol.114 サクッと小噺

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。

こんにちは、サクです。海外の映画は字幕派ですか? 吹き替え派ですか?
私は子供の頃はダンゼン字幕派でした。ハリソン・フォードやオーランド・ブルームが日本語を話すなんてしっくりこないし、字幕のほうが映画の世界観を損なわずに鑑賞できると思っていました。なんとなく字幕のほうがカッコいい、という思い込みもあったでしょう。

しかし、海外の映画に字幕をつけたり吹き替え用の台詞をつけたりする仕事をしている友人によると、「吹き替えのほうが情報が正確」だそうです。彼女いわく、字幕にしても吹き替えにしても、英語から日本語に翻訳する時点でかなり情報は加工されていて、さらに字幕は”目で読んで理解する速度は、耳で聞いて理解する速度より遅い”というハンデを背負っている。そのため字幕をつける際は、情報量を原文から半分くらいまで省略せざるをえない、そうです。プロのそんな見解を聞くと「じゃあ吹き替えで見よう」と思うのですが、
しかしあらためて字幕の映画を見てみると、「主に日本語の字幕で理解しつつも、耳に入ってくる英語の台詞で情報が補完されている」ことに気づきます。聞き取れるのはシンプルな英語だけです。しかし、シンプルだからこそ、強い。

たとえばディズニーの「アナと雪の女王」で社会現象を巻き起こした名曲。女王エルサはずっと魔力を隠して生きてきましたが、ある日「もう隠せないし、人間界では暮らせない」と雪山へ逃げます。そこで最初は悲しげに、でも次第に解き放たれながら、熱唱するあのシーン。

♪日本語♪
ありのままの姿見せるのよ ありのままの自分になるの

♪英語♪
Let it go let it go Can’t  hold it back anymore Let it go let it go Turn away and slam the door

日本語の「ありのままの〜」は明るく肯定的なムードに満ちています。一方で英語を直訳すると「それを行かせろ もう抑えてはおけない 背を向けて ドアをバタンと閉めて」なので、あまり明るいムードとは言えません。itの好きにさせよう、itを放っておこう、という諦観のムードが強いです(itは魔力または状況を指していると考えられます)。余談ですが、この映画がヒットした年の結婚式では日本語で「ありのままの」を歌う余興が多かったそうです。私が出席したいくつかの結婚式でも歌われました。そのとき私は「ありのままの〜なら結婚式に違和感ないけど、Let it go〜だったら、結婚よりむしろ離婚の心情に合う歌詞かもなぁ」と思っていました。

さて当時、私は「アナと雪の女王」を映画館で字幕で見ました。この熱唱シーンで涙がこぼれたのですが、もし吹き替えで見ていたら泣いたかしら・・・と思うと、おそらく泣かなかったと思うのです。吹き替えなら「エルサよかったね」と単純に祝福したでしょう。しかしたまたま字幕で見ていたから、耳から「Let it go(それを行かせろ)」という情報が入ってきて、エルサが今までitを抑えつけてきた努力、itの好きにさせるというヤケクソな諦観、過去を棄てるエルサの決意、がグワーッと胸中に押し寄せました。これは耳から入ってきた「Let it go」が私にもたらした情報です。だから私は泣いたのです。こういう体験をしてしまうと、字幕は吹き替えよりも情報量が少ない、と一概には言えません。たまたま聞き取れたシンプルな台詞が、大量の情報を運んでくる事もあります。
しかしもちろん聞き取れない事も多いので(というか聞き取れない事のほうが多いので)、吹き替えのほうが情報量は安定しています。字幕か吹き替えかは答えのでない永遠のテーマです。さて、あなたはどちら派ですか?