寝るか仕事をしているかの私。
そんな時、懇意にしていただいていた方からひとつの情報を得たのです。
「アメリカでは消耗品の50%が通販だぞ」
その人は海外の大手歯科材料店から商品を輸入して、
材料屋に問屋を通さず直接卸せ、とアドバイスしてくれました。
つまり、輸入代理店になれと言うのです。
さらに、日本人がアメリカでやっているという小さな商社まで紹介してくれたのです。
どうしようか迷いましたが、結局やめました。
いくら安いからと言って、組合まで作って自分たちの身を守る保守的な日本の材料屋が
得体のしれない私から、アメリカの材料を買ってくれる保障などどこにもありません。
輸入したはいいが、在庫ばかりが増え続けることにもなりかねない。
私これでも、ここぞという時は、石橋を叩いて渡るタイプなんですよ。
しかし、通販とはいい話を聞いたと思い、
早速そちらをやってみることにしました。
屋号も『太洋研開』から『パシフィック・デンタル・リサーチ』という
オシャレな名前に変更しました。
さらに、「医療用具輸入販売業」という国の業許可も取り付けました。
これは、当時なかなか取るのが難しい許可だったんですが、がんばりました。
まずは、件のアメリカの商社を通して、歯を削る金属バー(ドリルの先に付ける部品)を輸入。
紙の上に用具を並べ自分で写真を撮り、
手書きで作ったDM200部をまずは大阪へ打ちました。
1985年の暮のことでした。
価格は他社の2分の1。なんと3件のリピートが!
こりゃいいぞ、と調子に乗ってDM発送を全国に広げました。、
DMも手書きから印刷に。ここぞとばかりに大攻勢をかけました。
販売量が増えて喜んだのもつかの間、次は品質が悪いとクレームの雨あられなのです。
輸入先はそこしか知らないので、変えるわけにもいかないし。
困った私は、商社にずいぶん苦情を言いましたが、次の入荷でも、その次の入荷でも直らないのです。
商社も困りはてたようで、最後には直接メーカーとやりとりしてくれ、と見放されてしまいました。
そこで、アメリカのメーカーに、テレックスで品質向上を要求しました。
当時は、Eメールはもちろんのこと、ファックスもアメリカでは普及していませんでした。
テレックスとは海外用の電報のようなものでしたが、文章のやり取りではなかなかラチがあきません。
困ったを通り越しシビレを切らした私は、
アメリカ人の通訳を雇い直接メーカーへ品質の向上のための電話をすることにしました。
すると…通訳の方曰く、
彼らはアメリカ人のふりをしたイラン人だと言うのです。
そして、相手には品質向上などさせる気などなさそうだ、とも。
ずっとダマされていたのです。
思わず、通訳の手から電話機を取り上げ、
「おみゃあさんとこ、
ええ加減な製品ばっか作っとったらアカンに」
と抗議したのですが、英語どころか名古屋弁でまくしたてたのですから、
きっと伝わらなかったような気がします。
そのメーカーとは間もなく縁を切りました。
初めて輸入した時から丸2年がたっていました。
筋が通っていることを相手に要求して、
相手が「わかった」と言ったとしても、本当はやる気なんかない。
そんなこともあるのだと、私は外国人との2年間の取引を通じて身につけたのでした。