2013年8月号Vol.14
こんにちは、サクライです。今月は『学び』について語らせてください。「おいおい、いつもアホ話ばっかりじゃん。どうしたサクライ?」と思ったアナタ、そんな事はないのですよ。サクライは、少なくともカナダの大学に留学していた4年間はガリ勉だったのです。平日は朝8時~夜11時まで、週末でも昼の1時~夜9時までは勉強をしていたのです。私だけでなく、他の学生もそんなもんでした。
『学問は世界の見方を変える。同じ世界にいても、違う世界が見えてくる』
夏休みにカナダを横断している時、ウィニペグという都市で知り合った建築学部の学生の言葉です。
私に街案内をしてくれる最中、ずっと「この建物はロマネスク。ガッチリしていて窓が小さいでしょう?
柱は円柱と角柱が交互で…」など、建築の話をしていました。
学生「結局、建築講座になっちゃった。フツーの観光案内とは全然ちがう(笑)。」
私 「面白いよ。ありがとう。」
学生「外を歩くといつも建築の視点で見ちゃうんだ。この視点から逃れられない。」
私 「宗教学部の私と建築学部のアナタとでは、同じ物を見ても、違う物が見えるんだろうな。」
学生「学問は世界の見方を変える。同じ世界にいても違う世界が見えてくる。すごく面白いよね。」
この言葉はズシンと来ました。まったくその通りです。
学びは世界の見方を変えます。そして、それは自分の軸になっていきます。
学問が視点を作る…思い当たる例は他にもあります。例えば恋愛。私達の大学はガリ勉だったけど、それでも10代後半から20代前半の若者です。恋愛に興味がない訳がない。週末の勉強が終わって夜9時以降、集まって恋バナに花が咲きます。
友人A「恋の初期段階でドーパミン、上手くいけばエンドルフィン、やがてセロトニン…。恋は精神にいい。」(心理学専攻)
友人B「効率的に最大限にそういった神経伝達物質を出すためには、恋人は複数必要なんだ。同じ相手なら、Hは1回目が最高で、2回目、3回目…と利益は落ちていくから。」(経済学専攻)
友人C「それは相手の尊厳を傷つけてる。他人は利益を得るための手段じゃないよ。」(哲学専攻)
友人B「じゃぁ何のために恋をするのさ?」
わたし「人間は何かに焦がれたいし、誰かに必要とされたいんだよ。」(宗教学専攻)
学問が視点を作るという例、なんとなく分かっていただけたでしょうか。
私の視点は宗教学です。もちろん他にもあるけど、宗教学が大きなウェイトを占めています。
サクライは特に信仰している宗教がある訳じゃないのに、宗教学が面白いの?―面白いんですよ。
宗教学には、人間の全てがつまっています。人間の美しい面も汚い面も不思議な面も、すべて包括しています。人間が愛おしくなってくるんです。
宗教学を修めた人は少ないため、宗教学視点で話をすると「変だよ」と言われる事もあります ─ 特に日本では。それでも、私は宗教学を通して見ている今の世界が楽しいので、やっぱり宗教学を学んでよかったなぁと思います。