2016年11月Vol.52
こんにちは、サクライです。もう今年も終わりですね。毎年この時期になると、私は「今年の1冊」を選んで勝手に表彰しています(今年出版された本ではなく、私が今年読んだ本の中から選びます)。受賞した本を目の前に置いてパチパチパチ…と拍手をするだけの、ささやかな1人表彰式です。でも今年は、この場をお借りして表彰式を行いたいと思います。
えー、では改めまして…Ladies and gentlemen, I proudly present this years my best book!!
内田樹の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』!!!( 2 0 0 3年 角川出版)
内田先生は私が好きな哲学者の1人で、「私の今年の1冊」の常連でもあります。今までも内田先生にはハッとさせられる事が多かったのですが、今年はこの本に救っていただいたんです。― 今年の5月、私はうまく眠れなくなりました。昼もぼんやり、夜もぼんやり、寝てるんだか起きてるんだか分からない状態が続いて、けっこうキツかったんです。
そんな時に出会った『疲れすぎて眠れぬ夜のために』。
これは睡眠についての本ではありません。多様なトピックスのエッセイ本です。ただ、「肩に力が入っている人」を読者像に据えているように思います。「ラクにしなよ」と言っているように感じます。
いろんなトピックスがある中で、私が救われたのは「利己主義」の話です。
たとえばムカついて人を殺す若者を「自己中だ」と非難する声があるけど、これは真の意味で利己的とは言えない。一瞬のむかつきを解消するために、そのあと長期間の拘束を受けるなんて、間尺に合わない取引だ。「未来の自分」より「今のむかつき」を優先する―これは利己的というよりも、利すべき「己」が異常に縮まった状態といえる。
ここまでは「私は違うもん」と思って読んでいました。問題はこの後です。
頑張りすぎる若者も、「己」が極端に縮んでいるという点では、むかつく若者と同じだ。彼らは自分を「私として承認する部分」と「承認しない部分」に分けて、承認する部分だけを「本当の私」と見なす。承認しない部分は、心であっても体であっても、承認する部分のために滅私奉公する事が求められる。でも、「私」って、本来もっと広大なものではないのか。
これはガツンと来ました。たとえば仕事中に頭が痛くなると、私は頭に向かって「いいから働け」と命令していました。たとえば夕飯の支度ができないほど疲れていても、私は体に向かって「旦那が帰ってくるまでにご飯を作ろう」と言い聞かせていました。つまり、「バリバリ働く私」や「良妻な私」を優先させて、「頭痛の私」や「疲れた私」は無視してきたんです。どの私も、平等に私だったのに。
この事に気づいてから、とてもラクになりました。「働く私」と「頭痛の私」の声を両方とも聞いて、「良妻な私」と「疲れた私」の声を両方とも聞いて、妥協点を探すようになったからです。頑張るのは大事だけど、適切に休むことも同じくらい大事だと、内田先生は教えてくれました。おかげで肩の力が抜けたのか、今ではぐっすり眠れる日々を過ごしています。
いろいろあったけど良い年でした。1年間お世話になりました。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。