知り合いだからこその不安
制作の山男竹内がお送りします。
先日健康診断があり、地元の市民病院で血液採取や心電図の検査を受けました。
私の姉は臨床検査技師をしています。私はもともと姉と仲が良く、姉の友人とも交流があり、今でも姉の友人と姉抜きで会うこともあります。
私と姉が中学生時代に所属していた吹奏楽部の先輩に、姉と同じく臨床検査技師の道に進んだ方がいます。その先輩の奥さんもまた臨床検査技師で、2人とも今でも私と交流があるため、夫婦揃って市民病院で検査技師として働いていることは知っていました。
採血センターには4つの窓口があり、その1つで先輩の奥様が採血をしていました。
軽く挨拶を交わし、私の順番が来るのを待ちました。
番号が呼ばれ、着席したのは先輩の奥様の窓口。正直「え、なんで?」と心の中で思います。
彼女を信頼していないわけではないのですが、知り合いから採血をされるのは、ありがたみがないと言うか、何か心が落ち着きませんでした。
その後心電図の部屋に入ると、今度はご主人である先輩が計測してくれました。
ここでも先ほどと同じ心境です。
病院以外で合う先輩も奥様も、とても感じの良い方なのに、どうしようもなく感じる「大丈夫かなあ」という不安とお尻がモゾモゾするような違和感。
ここで思い出すのは妻が初めて妊娠した時の事です。名古屋の安産で有名な神社に御払いに行った時の事です。受付を済ませて社殿で祈祷を待っていると、登場した神主は高校時代の同級生でした。祈祷を終え、神主から犬帯を受け取ると神主から「今日はありがとう。これ持っていけ」と神社の名前が入った箸を受け取りました。
高校時代に一緒にやんちゃをした彼から祈祷を受ける。そして箸を受け取る。
「彼は神様の言葉を伝えるだけで、彼の言葉ではない。それに彼だってもう昔の彼ではないんだ。」と心の中で言い聞かせた事を思い出します。
病院での治療や検査も、お祓いや祈祷も、私には真似どころか理解もできません。そんな難しいことを行う相手にはどこか「人ならぬもの」「神の領域」のようなものを感じます。だから、十分に人間くさい部分を知っている知人にされると不安や違和感を覚えるのでしょう。
私の場合、医療行為や神仏に関する行事は全く知らない人の方から受けるべきのようです。