サクのサクッと小噺
STAFF BLOG

2015年3月Vol.33 2015年06月19日

こんにちは、サクライです。先月ドイツのケルンで行われたIDS(インターナショナル・デンタル・ショー)に行ってきました。

ついでにケルン大聖堂も見てきたのですが、その時に後輩から出た質問が新鮮でした。「イエス・キリストって何がすごいんですか? 磔(はりつけ)にされて辛そうです。こんなに弱っている人に、いったい何を祈るんですか?」おぉっ、根本的な質問!!

解説すると、「へぇ~、面白~い❤サクライさんすご~い❤❤」と目をキラキラさせて喜んでくれるので、私はすっかり気分が良くなってしまいました。…―その後でフッと思ったのですが、知識があると教会も楽しくなりますよね。私は大学で宗教学を修めたので教会について簡単に知っていますが、そうでもなければ、なかなか知る機会はありません。せっかくなので、ここで“教会を見る上で知っていると面白そうな事”をお話ししたいと思います。教義の解釈はたくさんあってここには書ききれないので、最も一般的で、簡略化された分かりやすい話をお伝えします。ヨーロッパに旅行する時にでも参考にしてください。

 

どんな教会でもイエスは十字架にかけられています。これは当時の処刑方法で、ものすごく苦しい死に方です。
そんな人に向かって教徒が頭を下げるのはナゼか? 敬意や憧憬もありますが、1番は感謝です。「人類を救うために死んでくれてありがとう」と言っているんです。えぇっ?! 何ソレ?!

 

「イエスの死への感謝」には、2つの前提があります。1つ目は、全ての人間は生まれながらに罪深い存在で、天国には行けないという事(アダムとイブが禁断の果実を食べて楽園を追放されましたが、全人類はこの罪を受け継いでいます)。2つ目は、神様に許してもらうためには、捧げ物が必要だという事です。

 

「人類の出発点からずーっと続いている罪を許してもらって、天国に行かせてもらう」こんなに大きな許可を得るためには、とても良い捧げ物をしなければいけません。捧げ物は動物かしら?魂のレベルが低すぎます(動物は人間より低次元の生き物と見なされます)。だったら人間かしら?どの人間も罪深くて不潔です。もっと良い捧げ物が必要
です!! ―これが、イエスでした。

 

イエスの父は神、母は処女マリア。性交を通して生まれていないので、アダムとイブから続く罪の遺伝子も受け継いでいません。だからイエスは最高に清らかな生き物なんです。地球上で最も清らかな生き物を神様に捧げることで、全人類を許してもらったんです。

 

イエス可哀想…と思うと複雑になってきます。イエスはもともと生贄(いけにえ)になる前提で地上に来たので、けして被害者ではないんです。イエスの処刑は神の御意志だったのです。その上、イエスと神は同一と信じられています。しかし「神なら死ぬ時に苦しくは無かっただろう」という解釈は認められず、あくまで「イエスはめちゃめちゃ苦しんで死んだ」事が大事なんです。
だからこそ人類の罪は許されるのであり、だからこそ教徒はイエスに手を合わせるのです。(苦しまなかったという解釈をした宗派もあったのですが、宗教論争で“異端”とされてしまいました。)

 

うーん、日本人には難しい教義ですね。日本では“罪”より“穢(けが)れ”の感覚の方が強いですし…(穢(けが)れは水やお払いで落ちます)。でも、観光で教会に行った時に、何も知らないよりはちょっとは知識がある方が面白いと思います。これから機会があれば、ぜひ思い出してみてくださいね。

33.png

詳しく見る

2015年2月Vol.32 2015年05月20日

 こんにちは、サクライです。先日東京の印刷博物館に行ってきました!
300円という手頃な入場料ながら、資料も充実していて大変楽しかったです。

 

最も感動したのは活版印刷の体験教室です。自分の名前である「櫻」「井」「晴」「佳」という活字(凸型の字型)を拾って、字間のスペース用の型も選んで、綺麗に整列させてズレないようにネジで留めます。それを専用の機械にセットして、レバーを押すと活字の凸部分にインクが乗って、更にレバーを押しこむと活字の凸部分と紙が触れあって、紙に「櫻 井  晴 佳」と印刷されるんです(櫻と井の間は半角スペース、井と晴の間は全角スペースにしました)。私はすっかり嬉しくなってしまい、レバーをばったんばったんと押し続け、櫻 井  晴 佳、櫻 井  晴 佳、櫻 井  晴 佳、櫻 井  晴 佳…と、たくさん印刷してしまいました。
活字を拾っている時は「これで文章を作るなんて時間かかりすぎるぞ」と思いましたが、ばったんばったん印刷を始めたら、ナルホド確かに早いです。
手で書き写していた時代の本は超高級品でしたが、活版印刷によって大量印刷が可能になり、本の価格が下がったというのも納得です。グーテンベルクは偉い!!!
(ドイツの金属加工職人であり印刷業者。活版印刷の発明者として有名。15世紀)

 

活版印刷がなければ、宗教改革はなかったでしょう(宗教改革【16世紀】:それまで聖書を持っているのは教会だけで、民衆は教会が話す“聖書の教え”を信じるしかありませんでした。しかし、活版印刷によって民衆も聖書を読めるようになり、自ら読んで考えるようになったんです)。活版印刷がなければ、ルネッサンスも盛り上がらなかったでしょう(ルネッサンス【14~16世紀】:人間の好奇心や探究心が爆発した文芸運動。中世の人間像は“罪深き者”だったが、ルネッサンスにより人間像は“無限の可能性を秘めた者”に変わった)。
つまり、活版印刷がなければ、今のヨーロッパはありません ―って事は今の世界もありません。

 

更に言えば、活版印刷の発明以前、ヨーロッパは後進地域でした。アジアやアラビア地域の方が、科学も文化も社会も進んでいたんです。しかし突然、宗教改革・ルネッサンス・大航海時代など、派手な出来事が立て続けに起こって、ヨーロッパは世界史の主役に躍り出ます。まったく活版印刷の貢献は測り知れません。グーテンベルクを世界史の教科書でもっと誉めてあげてもいいと思います。宗教改革のルターやルネッサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチは似顔絵入りでめちゃめちゃ誉められているのに、グーテンベルクは「グーテンベルクが活版印刷を発明した」という一文だけです。これでは「グーテンベルク」が人名なのか社名なのかもよく分からない。
可哀想なグーテンベルク。

 

せめてもの供養に…と思い、いま私のipadの壁紙はグーテンベルクの肖像画です。
我ながらミーハーだなぁ。

32.png

詳しく見る

2015年4月Vol.34 2015年04月01日

こんにちは、サクライです。もう入社5年目です。就職する前は憂鬱でたまらなかったのですが、最近、心の底から「働いてよかったなぁ」と思う事ができたので、少しお話させてください。

 

飽きっぽい私が最も長く続けられている趣味、それは読書です。母曰く、私は立つのも喋るのも遅かったのですが、本が読めるようになるのだけは早かったそうです。1番最初にハマった「ぼくは王さま」から始まって、小学時代は「赤毛のアン」、中学時代は「村上春樹」、高校時代は「夏目漱石」、大学時代は「遠藤周作」、社会人になってすぐは「谷崎潤一郎」と、いろんな作家さんにお世話になってきました。

 

好きな作家さんが変わるのは嬉しいものです。たとえば、小学生の時に初めて村上春樹を読んだ時は、良さが分かりませんでした。中学生になってから読み返したら面白くて、「うん、私は青春時代に入ったのだ」と思いました。
中学生の時に初めて夏目漱石を読んだ時も、良さが分かりませんでした。高校生になってから読み返したら面白くて、「うん、私も自我と孤独に苦しむようになったのだ」と思いました。以前は分からなかった本が面白くなるという事は、まさに“成長”を感じる尺度です。

 

そして今、社会人5年目になった私がどっぷりハマっているのが、塩野七生さんの「ローマ人の物語」です。タイトルに反して内容は物語ではなく、ひたすら歴史の記述が続きます。文庫で全43巻。(ちなみに今は12巻を読んでいます)

 

ヨーロッパの歴史の根幹を知りたくて手をつけたのですが、読んでみると、なんとビジネス書として面白い!!
たとえば、ある天才的な武将がいて、部下にも慕われています。しかし彼の下に一軍団をまかせられるほどの部下は育たなかった。すると、局地戦には勝てても全体的には勝てないんです。彼が率いる軍しか勝てないから、軍を分散させて広地域で戦う事ができないのです。ビジネスのリーダーにも同じ事が言えます。

 

たとえば、ある時ローマは画期的な統治システムを確立します。それによって近隣諸国と仲良くしながらどんどん領地を広げていくのですが、時が経つと、そのシステムが社会の弊害を生むようになります。作った当初は"善"だった仕組みが、状況が変わると"悪"になる。これも会社と同じです。あえて悪い仕組みを作る人なんていなくて、いつだって私達はできる限りベストな仕組みを作ります。しかし、時代が変われば仕組みも破綻していくのです。
 

最近の大きな例だと終身雇用や年功序列が挙げられますが、日常業務の中でもよく見られる現象です。
寝食忘れるほど「ローマ人の物語」が面白いのは、仕事と会社を知ったからだと思います。
学生時代の私では、きっとこの面白さは分からない。
以前は分からなかった本の良さが分かるなんて、あぁ、就職した甲斐があるなぁ♪♪♪

34.png

詳しく見る

2015年1月Vol.31 2015年03月02日

こんにちは、サクライです。27才です。最近なんだか、身の回りが“角田光代”の世界っぽくなってきました(角田光代:作家。女性の仕事、恋愛、結婚、それらに付随する友情を題材にした小説が多い。一番有名なのは『八日目の蝉』)。男女共同参画社会とはいいますが、現実は理想とはほど遠く、女性の人生は何かを得るために何かを諦めるとか、それによって生活がガラリと変わるという機会が、男性よりも多いようです。学生の頃は、角田さんの小説を読んで「女って大変だなぁ」と他人事のように思っていましたが、27才になった今、身近な話になってきました。

 

特に印象的だった出来事が、先日2人の友人と会った時に起こったんです(ユウちゃんとショウコ)。ユウちゃんはパンツスーツをビシッと決めてハイヒールで闊歩するバリバリの営業マン。「私にとって仕事は主食、恋愛はサプリ」と言い切ります(昔そんなドラマありましたね)。時々デートする相手はいるけど、彼と本気で付き合うつもりはなく、デートはあくまで“心に潤いを与えるため”に過ぎないそうです。仕事に100%のエネルギーを投じているから、恋愛に気力を割く余裕はない、と。

 

一方、ショウコは一箇所にじっとしていられません。先日までカナダでアルバイトしていたかと思ったら、今はイギリスです。ユウと違って仕事が面白いとかキャリアを積みたいといった野望はなく、ただ「知らない世界を見てみたい」という好奇心で動いています。たまに甘い出会いもありますが、なにせ移動を繰り返す子なので、深い付き合いになる前に別れてしまいます。身を固めて一箇所に留まるなんて退屈には耐えられない、と。

 

二人とも話が面白いので大笑いして聞いていたまさにその時、メールが3通来ました。中学の同級生から「実は結婚する事になって、ぜひ二次会に来てほしいな」、高校の同級生から「ついに結婚するから式に来てほしいな」、また別の同級生から「言い忘れてたけど、昨年結婚しました❤」という3通。慌てて祝福メールを送ると、「ついに念願の寿退社、いえ~い」「子どもができて不自由になる前に遊びに行こうょ~」などの返事。メールと目の前の2人を見比べて、思わずニヤリとしてしまいました。

 

なんの“ニヤリ”なのか、自分でもよく分かりません。どちらに共感しているのかも、どちらになりたいのかも分かりません。ユウちゃんとショウコは輝いていて、面白くて、でも人生のとても美味しい部分を味わいきれない気もします。
一方メールの友人達は幸せそうで、可愛くて、でも将来の可能性が一気に狭まったような気もします。

 

どっちを選んでも楽しい時はあるし、後悔する時もあるのでしょう。
“正解”は選択以前に定まっているものではなく、選択した後に自分で作っていくもの、と分かってはいても・・・・・・

仕事を前にして、彼氏を前にして、海外航空券のHPを前にして、「どーすんの?!どーすんの私っ?!」と頭を掻きむしる夜もある今日この頃です。

31.png

詳しく見る

2014年11月号Vol.29 2015年02月04日

こんにちは、サクライです。気づけばもう年末ですねぇ…早い。時がたつのは本当に早いです。大掃除は
済みましたか?年賀状は済みましたか?  私はまだです。これから全力で取り組みます。

 

毎年この時期になると思いだす光景があります。昔、私も妹も子どもで、家族4人で暮らしていた頃の年末…
サクライ家の恒例行事、プリントゴッコでの年賀状印刷です!
(プリントゴッコ:家庭用小型印刷器具。販売はS.52~H.20)

 

まずカーボンブラック入のペンで原稿を描きます。
原稿と特別なフィルムシートを重ねて、そこにライトで光を当てると、カーボンブラックに触れている箇所のフィルムが溶けて孔が空きます。その孔の上に赤や青のインクをのせて、原稿を取り除き、その代わりに葉書とフィルムシートを重ねます。そこに圧力をかけると、孔からインクが押し出されて葉書に写るという仕組みです(たぶん)。
版画と違って一版多色印刷できる点がとても便利なのですが、工程はすべて手作業です。父と母の年賀状を合わせると200枚は超えるので、けっこう大変!

 

我が家は12月25日まではクリスマスの事しか考えていなくて、脳内はプレゼントとケーキとモスチキンで薔薇色です。26日以降、「もしかして今は年末?」と気づくのです。それから年賀状の原稿を作って(もう時間がないくせに家族4人で真剣に話し合いながら作る)、プリントゴッコを押し入れから出してきて、印刷を始めようとします。あぁライトが切れている。あぁインクが足りない。慌てて近所のホームセンターまで自転車を走らせて、必要な材料を買ってきます。これでようやく印刷開始!!

 

原稿とフィルムシートを重ねて、ビカッと光を当てて、孔の上にインクをのせて…それ以降はフィルムシートを葉書に押しつける作業の繰り返しです。1枚押しつけたら、綺麗に印刷できたかどうか確認して、OKなら乾かします。そして新しい葉書に取り替えるのです。

 

ぐっと押しつけるのが父、印刷を確認して新しい葉書に取り換えるのが私、インクを乾かすために印刷した葉書をタウンページに挟むのが妹です。母は3人の補給食として蕎麦をゆでたりします(これがサクライ家の年越し蕎麦)。まさに家内制手工業。「もう元旦には間に合わないよ!」「せめて三が日のうちに届くように頑張
れ!」「大掃除はいつやるの?!」「それは年が明けてからだ!」怒声とびかうサクライ家…。

 

29.png

詳しく見る

2014年12月号Vol.29 2015年02月02日

早いもので、2015年ももう1ヶ月が過ぎようとしています。
サクッと小噺のサクライです。今年もよろしくお願いします。
2015年の目標は決めましたか? 私は「世界史の復習」です。高校生の時はわりと好きな科目だったのです
が、それ以降は特に縁もなく、すっかり忘れてしまいました。だって世界史なんて知らなくても日常生活で困らないし。仕事でも困らないし。

 

しかし、先日の旅行でつくづく感じたんです。「世界史の知識は、世界を面白い場所に変えてくれる」と。年末に初めてトルコのイスタンブールを訪れたのですが、ここは東西の歴史の交差点でした。古来から、東と西が貿易をしたり戦争をしたりしていました。なので旅行前に、慌ててイスタンブールの歴史を読み直したんです(ガイドブックも旅行用の荷物も直前まで準備しないのに、歴史本はだいぶ前から読み始めました)。

 

読んだ中で一番面白かったのは、1453年に起きたコンスタンティノープルの陥落です(当時、ビザンチン帝国の首都だったイスタンブールは、皇帝の名にちなんでコンスタンティノープルと呼ばれていました)。500年代には西はジブラルタル海峡から東はペルシアとの境まで、北はイタリアのアルプスから南はナイルの上流までを支配した大国ビザンチン帝国(東ローマ帝国)もすっかり弱体化し、1400年代には首都コンスタンティノープルとその周辺を残すのみになっていました。当時の西欧はルネッサンスだの大航海時代だのと派手な時代なのですが、ビザンチンは時代に取り残されていたんです。

 

そんな時、ビザンチンの首都コンスタンティノープルに目を付けたのが、東方のアナトリア地方からやってきたオスマントルコです。しかしコンスタンティノープルには鉄壁の防御を誇る城壁があります。首都コンスタンティノープルをぐるりと囲む城壁は、一番外側の堀から内側の壁まで60mもあり、高さは17mもあるんです。
1000年におよび数々の外敵がコンスタンティノープルに挑み、城壁を攻略しきれず撤退して行きました。

 

1453年、それを打ち破ったのがオスマントルコのメフメット2世でした。
城壁に対して、彼は大砲と人海戦術で挑みます(兵士の数はトルコ側が12万人、ビザンチン側が7000人)。
自分の部下が城壁から落とされる石から逃げ帰って来ると、容赦なく斬りつけたというヒドイ人ですが…。

 

そんなビザンチンとトルコが、1453年4月12日から5月29日までコンスタンティノープルで繰り広げた激戦の名残を、今でもしっかり見る事ができます。廃墟となって城壁は残っていますし、小高い丘から眺められる地形も同じです。キリスト教国ビザンチンの首都だったコンスタンティノープルは、イスラム教国オスマントルコの首都に変わって、市内にたくさんあった教会はモスクに作り変えられています。イスタンブールの街を歩いていると、「あぁ、ここでメフメット2世が…」とか「あぁ、ここでコンスタンティヌス11世が…」など、当時の英雄達に想いを馳せてしまいます。胸がいっぱいになって涙まで出てきました。

 

学生時代はかなり英語が話せましたが(今はほとんど話せない)、その頃の旅行より楽しかったです。「旅行を面白くするのは、言語よりも歴史だっ!!!」と思いました。そんな訳で、今年の目標は世界史!NHKの高校講座、図書館、本屋さんを活用したいと思います。

 

本年もよろしくお願いいたします。皆様にとって楽しい年になりますように。

 30.png

詳しく見る

2014年10月号Vol.28 2014年11月11日

こんにちは、櫻井です。社会人も4年目をむかえました。家賃も光熱費も食費も雑費もなにもかも自分で支払わなくちゃいけないけど、それでも気づいたら貯金が学生時代を上回っているので、「なるほど、社会人ってすごい」と思います。

 

自由な時間が減ったかわりに、経済的余裕は増えました。
コーヒーを飲みたくなった時に、ドトールよりもスタバに入るようになりました。
本が読みたくなった時に、図書館ではなく本屋に行くようになりました。
長距離移動の際、深夜バスではなく新幹線を使うようになりました。
両親や祖父母と外食したら、私がおごる事もできるようになりました。
しかし、最も「私ってお金持ち!!」とイイ気分になるのは、レンタルショップでCDを借りる時です。

 

子供の頃は、CDは必ず“当日返却”でした(レンタル料は当日返却なら250円、1週間なら320円)。
我が家からショップまでは自転車で30分、子供には少々遠い距離です。しかし子供のために車を出してくれるような両親ではないため、小学生の私は必死に自転車をこいで出かけていました。だいたいアルバムを4~5枚借ります。これを全て録音するのはけっこう時間がかかるんです(カセットテープに録音する時代は、普通にCDを再生するのと同じくらいの時間がかかりました)。そのため、レンタルショップに行く休日は早く起きて、シャコシャコ自転車をこいで午前中にCDを借りてきて、午後いっぱいかけて録音し、夕方またシャコシャコ自転車をこいで返しに行っていました。
まさに雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ…。けっこう重労働です。あらかじめ「この日はC Dレンタルの日」と計画を立てておかないと遂行できないんです。だって当日返却だからっ!! 
だって私お金ないからっ!!!

 

 

しかし最近の私は、CDを“1週間”借りるんです。いま住んでいるアパートからレンタルショップまでは徒歩5分の距離なのにも関わらず、「だって今日中に戻ってくるなんて面倒くさいしぃ~」と1週間借りるんです。
あらかじめ「この日はC Dレンタルの日」と決めていないのに、仕事帰りにフッと借りたりするんです。
仕事帰りってことは夜ですよ!夜に借りるって事は、当日返却を狙っていないって事です。なんて贅沢な! 
しかも借りてきたCDを、その日のうちに聴かなかったりするんです。
あぁバチが当たりそうなくらい贅沢!! 私ってばブルジョワ?!

 

 

そんなわけで、ショップで「ご利用期間はどうされますか?」「1週間で」と答える時、私は経済的な優越感に浸っていたのですが、調子にのっていたら、先日レンタル期間が過ぎてしまいました。1週間で320円だったCDが、1日遅れたら追加300円です。これはお金持ちではない……ただのバカです。
当日返却をしていた頃ならゼッタイしなかった失態に、猛烈な自己嫌悪。

 

 

汗水たらして当日返却していた人間が、余裕ができたら1週間の期限も守れなくなるんだから、人間ってダメですねー。

 

28.jpg

詳しく見る

2014年9月号Vol.27 2014年11月11日

こんにちは、サクライです。先日、恋人(かずや)を連れて埼玉の実家に帰りました。結婚の挨拶なんてマジメな用事ではなく、ただ遊びに行っただけです。初対面ですが父も母も気楽に迎えてくれました。しかし母は相変わらず…彼女の思考回路はどこか壊れています。

 

私達が到着するなり、母は「かずくん、見てみて」と自分の海外旅行のアルバムを開きます。どーしてアンタの写真なんだ?!ここは私が子どもの頃の写真―七五三とか卒業式とか―を見せて、

 

>彼「可愛いですね 」
 >母「可愛かったのよ 」
 >私「もぉ~、やめてよ恥ずかしいからっ!」

 

なんて会話をすべき場面ではないでしょうか。
アンタの写真を見せてどうする。
(—————————————————以上、理想。以下、現実)

 

 >彼(母の写真を見せられて)「綺麗ですね」
 >母「うん、この写真は遺影にするつもりなの」
 >彼「・・・」

 

お母さん、初対面なのにパンチが効きすぎだぞ。

 

写真を一通り見せ終わった母は満足したらしく、彼に質問を始めました。

 >母「かずくんの故郷はどこなの?」
 >彼「親父が転勤族だったんで故郷ってピンと来ないですね。今は、親は熊本に住んでますが・・・」
 >母「あら、熊本城に?!」
 >彼「!?  ・・・い、いや、スミマセン、普通の家です。なんかスミマセン・・・」

彼氏よ、謝らなくていいぞ。

 

さて、夕飯には父がカレーを作ってくれました。父と彼と私がテーブルについてカレーを食べている間、母は床に座り込んで本を読みながらカレーを食べています(まるで行儀の悪い子どもです)。テーブルの上には3人分のスイカもあったのですが、いつの間にか母は私の分を盗んで、気づいた時には床に胡坐をかいて背中を丸めて、シャカシャカ音をたてて食べていました(まるで行儀の悪い猿です)。

 

カレーとスイカでお腹がふくれた母は、いつも通り居間のソファーでぐぅぐぅ眠り始めます。父に「風呂に入れ」と怒られても、私に「歯を磨け」と怒られても、どこ吹く風。

 

 >私「お母さん、彼は居間に布団しいて寝るんだから、どいてよ」
 >母「うぅ~ん、わたし気にしないから大丈夫」

彼が気にするよ!!!

 

初対面のお客様の前でこの言動。年頃の娘の彼氏の前でこの言動。この人はスゴイです。
彼は「キミも将来はああなるのかな」と言いますが、ここまでひどくはならないと思います…。

 

27.png

詳しく見る

2014年8月号Vol.26 2014年09月27日

こんにちは、サクッと小噺のサクライです。突然ですが思春期突入時代を思い出してみてください―…
アナタも中二病(ちゅうにびょう)にかかりましたか?

 

中二病とは、中学二年生頃にありがちな自己愛に満ちた嗜好や非現実的な空想を揶揄した言葉だそうです。
たとえば…洋楽を聴き始める、コーヒーを飲み始める、本当の親友を探し始める、自分は他とは違う、大人は分かってくれない、なんか腹立つ、なんか憂鬱、などなど……うーん、10代前半で通るべき健全な変化のように思います。
私にももちろんありました。その中で「あれは滑稽だったな」と思うのは(ぜんぶ滑稽なのですが、特にバカバカしいという意味で)、喀血する男性への強烈な憧れです。

 

私は本が好きでした。これは中二病にかかる前からの嗜好で…いつから本好きなのかは覚えていないのですが、妹の1才の誕生日に貯金箱を割って本をプレゼントした事は覚えています。当時の私は4才。既にその時には本が好きだったのでしょう。さて、中学に入ってから、本だけでなく本を書いた人達に焦がれるようになります。そして「あぁ、インテリは自殺するか血を吐いて生涯を終えるものなんだ。少なくとも神経衰弱くらいはかからなくちゃダメだ」と、とんでもない勘違いをするんです(芥川龍之介、森鴎外、夏目漱石など)。自殺、喀血、神経衰弱…
この中で、私は喀血を一番美しいと思いました。だって情景が綺麗なんです。

 

情景1.縁側に面した畳の六畳部屋。そこで本を読む一人の青年。
    眉間にしわを寄せて真剣にページをめくっていたが、突如苦しそうに顔を歪め、口を手で覆い、ゴフッ…!読みかけの本に飛び散る赤い血。一瞬で日常が非日常に姿を変える。
    慣れ親しんだ世界が遠のいて行く中で、散った血だけがリアルさを増していく…。

 

情景2.喀血した彼はサナトリウムに入ります(長期的な療養を必要とする人の療養所。かつては結核治療がメイン)。
    都心から離れた森林にポツンとたたずむ白い建物。その一室で、やせ細った彼は本を読んでいます。無機質な白い壁と白いベッド、窓の外には瑞々しい青葉―まるで死と生の対比のような部屋。そこに白いワンピースを着た私がお見舞いに来て(いつの間にか彼女として登場)、彼は青白い顔をあげて微かに微笑む。静かに見つめ合う二人。彼は何か言おうと口を開くが、そこで急に胸を押さえ、ゴフッ…! あぁ喀血量が増えている。白い布団に咲いた真っ赤な花は、死が生を制する未来の暗示―…。

 

バカバカしい。本当にバカバカしい。でも、これが私の憧れでした。
今にも死にそうな恋人がほしい。電車を乗り継いでサナトリウムにお見舞いに行きたい。

 

この中二病の後遺症だと思うのですが、27才になった今でも、細くて青白くて生命力の弱そうな男性を見るとキュンとします。「ステキ、今にも死にそう!」と心の中で絶賛してしまいます。

 

…でもねぇ、現実の病気はロマンチックじゃないんですよね。数年前、私の父は血こそ吐きませんでしたが命に関わる病気を患いました(今は回復してますが、全快ではありません)。彼も大変だったし家族も大変でした。
そこで私は「今にも死にそうなステキな男性より、ステキじゃなくてもいいから丈夫な男性の方がいいな」と認識を改めたんです。

 

―と、頭では分かっていても、ときめく胸を抑える事まではできません。
薄命そうな男性にドキドキ という嗜好は未だ残っています…。

 

26.jpg

詳しく見る

2014年7月号Vol.25 2014年07月30日

こんにちは、サクッと小噺のサクライです。夏まっ盛り、カゲキな格好の女の子も多いですね!
アナタは胸と脚どっちが好きですか?

 

私は大学の4年間をカナダで過ごしたのですが、最初の頃は目のやり場に困りました。カナダの女性服って胸の切り込みが深いんです。老いも若きも谷間全開。まさか乳首までは見えませんが、胸の1/3~1/2は露出されています。
ビキニ水着の胸の露出度を思い出していただければ近いです。学校の先生だろうが、子持ちの主婦だろうが、敬虔なクリスチャンだろうが、胸元パッカリです。

 

例えば保育園。園児と戯れている保育士さんの胸元もパッカリ。日本なら親御さんに怒られそう…。
例えば大学。著名な女性教授の胸元もパッカリ。最初の頃は授業に集中できませんでした…。
例えば病院。白衣の下のシャツ、女医さんの胸元もパッカリ。だ、男性の患者さんは元気になるかもしれない・・・。

 

こんなに胸の気前が良ければ、男性は女性の胸に興奮しないのだろうか?という疑問は誰もが抱くのではないでしょうか。現地の男子学生に聞いたところ、「毎日見てるからありがたみは薄いけど、ムフフと思わないわけではない。
触りてぇ~って欲求はあるよ」という事でした。

 

さてそんなカナダ男子が日本に1年間留学しました。彼が帰って来た時に「どうだった?」と聞くと、第一声が「Japanese girlsは胸の代わりに脚を披露してくれるんだな!」でした。
彼はミニスカートやホットパンツについて熱く語ります。「娼婦でもないフツーの女の子が、脚の付け根ギリギリから爪先まで生脚なんだぜ!!日本はいい国だ。」おいおい、日本でいったい何を学んできたんだ…。

 

しかし、言われるまで気づかなかったけど、彼の感想には一理あります。たしかに日本女子は胸は隠しがちで、脚は気前よく披露してくれる子が多いです(カナダの胸露出と違って、日本の脚露出は若い女性に限られていますが…)。逆に、カナダでは
胸は出しますが脚は隠しています。また、フランスに留学していた同僚曰く「フランスでもみんな胸を出していて、私が脚を出すとビックリされた」、韓国に留学していた同僚曰く「韓国では脚はよく出すけど胸は絶対に隠す」、中国に留学していた同僚曰く「脚露出も胸露出も、日本と中国は同じくらい」という事なので、欧米文化は胸、東アジア文化は脚、なのかもしれません。うーん、この差はどこから来るのだ?

 

強いて言えば、欧米女性は胸が大きい人が多くて、アジア女性は脚が細い人が多いからかもしれません。自信のある部位は見せたいでしょうし、その欲求に合わせてファッションが成形されていったのかもしれません。
―そんな訳で、カナダで脚を出すと周囲の反響が大きかったのですが、もっとすごかったのはニーハイです(太腿までの長い靴下)。ニーハイの脚はとてもエロく見えるらしく、男友達の賛美はもちろん、知らない男子からもたくさん話しかけられました。いつもの彼らなら私の事なんて歯牙にもかけないのに、恐るべしニーハイの威力。モテ慣れてない私はすっかりビビってしまって、その日以来、ニーハイをクローゼットの奥深くにしまい込みました。日本に帰ってきて、ニーハイの女の子がたくさんいるのを見ると、今でも不思議な気持ちになります…。

詳しく見る