2013年8月号Vol.14 2013年08月30日
こんにちは、サクライです。今月は『学び』について語らせてください。「おいおい、いつもアホ話ばっかりじゃん。どうしたサクライ?」と思ったアナタ、そんな事はないのですよ。サクライは、少なくともカナダの大学に留学していた4年間はガリ勉だったのです。平日は朝8時~夜11時まで、週末でも昼の1時~夜9時までは勉強をしていたのです。私だけでなく、他の学生もそんなもんでした。
『学問は世界の見方を変える。同じ世界にいても、違う世界が見えてくる』
夏休みにカナダを横断している時、ウィニペグという都市で知り合った建築学部の学生の言葉です。
私に街案内をしてくれる最中、ずっと「この建物はロマネスク。ガッチリしていて窓が小さいでしょう?
柱は円柱と角柱が交互で…」など、建築の話をしていました。
学生「結局、建築講座になっちゃった。フツーの観光案内とは全然ちがう(笑)。」
私 「面白いよ。ありがとう。」
学生「外を歩くといつも建築の視点で見ちゃうんだ。この視点から逃れられない。」
私 「宗教学部の私と建築学部のアナタとでは、同じ物を見ても、違う物が見えるんだろうな。」
学生「学問は世界の見方を変える。同じ世界にいても違う世界が見えてくる。すごく面白いよね。」
この言葉はズシンと来ました。まったくその通りです。
学びは世界の見方を変えます。そして、それは自分の軸になっていきます。
学問が視点を作る…思い当たる例は他にもあります。例えば恋愛。私達の大学はガリ勉だったけど、それでも10代後半から20代前半の若者です。恋愛に興味がない訳がない。週末の勉強が終わって夜9時以降、集まって恋バナに花が咲きます。
友人A「恋の初期段階でドーパミン、上手くいけばエンドルフィン、やがてセロトニン…。恋は精神にいい。」(心理学専攻)
友人B「効率的に最大限にそういった神経伝達物質を出すためには、恋人は複数必要なんだ。同じ相手なら、Hは1回目が最高で、2回目、3回目…と利益は落ちていくから。」(経済学専攻)
友人C「それは相手の尊厳を傷つけてる。他人は利益を得るための手段じゃないよ。」(哲学専攻)
友人B「じゃぁ何のために恋をするのさ?」
わたし「人間は何かに焦がれたいし、誰かに必要とされたいんだよ。」(宗教学専攻)
学問が視点を作るという例、なんとなく分かっていただけたでしょうか。
私の視点は宗教学です。もちろん他にもあるけど、宗教学が大きなウェイトを占めています。
サクライは特に信仰している宗教がある訳じゃないのに、宗教学が面白いの?―面白いんですよ。
宗教学には、人間の全てがつまっています。人間の美しい面も汚い面も不思議な面も、すべて包括しています。人間が愛おしくなってくるんです。
宗教学を修めた人は少ないため、宗教学視点で話をすると「変だよ」と言われる事もあります ─ 特に日本では。それでも、私は宗教学を通して見ている今の世界が楽しいので、やっぱり宗教学を学んでよかったなぁと思います。
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2013年7月号Vol.13 2013年07月30日
こんにちは、サクライです(つい先日26才になりました)。私の母はヒドイ人です(48才)。
彼女の心ない一言に、私はずっと傷つけられてきました。
私が小学校低学年の頃、母はヤクルトスワローズの大ファンでした。
野村監督と古田選手の黄金時代です。TVの前で一人、ビール片手に大騒ぎの母。その後ろで学校の話をする私。
「あのね、今日ね、国語の時間にね・・・」 しかし母は上の空。
私 「・・・ねぇお母さん、私とヤクルト、どっちが大事?」
母 (間髪いれず)「ヤクルト!!!」
あまりのショックに、物も言わず子供部屋に駆け込んで、布団の中で泣きました。1時間後、母が私の部屋にやってきます。布団にもぐりこみ、後ろから私を抱きしめ、「嘘だよ、アンタの方が大事だよ」と酒臭い息を吐く母。しかし私は知っています。いま野球中継が終わったのだという事を。
十数年後、私はひどい花粉症になりました。スギ花粉が舞う季節になると、目はショボショボ、鼻はズルズル、くしゅんくしゅんが止まりません。しかし花粉症のない母は、春がくると山へ行きたがります。
母「ねぇねぇ、暖かくなってきたから山の温泉宿に行こうよ」
私「いま山に行くなんて自殺行為だ! 留守番してるから3人(両親&妹)で行ってきて」
母「白けるようなこと言わないの。行ってみなきゃわからないでしょ」
私「行かなくてもわかるっ!!」
しかし結局、強引に連れて行かれます。スギ山に近づくにつれて、くしゃみが激しくなる私。
母「情けないなぁ・・・。根性足りないんじゃないの?」
さて、スギ山の奥深くにひっそりと佇む温泉宿に着きました。ダッシュで温泉にかけこみ、目鼻を洗い、花粉を落とします。スギに何重にも囲まれたこの宿で、私の安楽の地は風呂場だけです。
母「ねぇ、お風呂でたら散歩に行こう♪」
私「とてもムリ。お父さんと行っておいでよ」
母「・・・アンタと旅行してもつまんないなぁ(超不機嫌)」
これが私の母です。娘の気持ちも事情も考えない、本当にヒドイ母です。
しかし―・・・私は母に感謝しています。昔から、彼女は子供の考えを尊重してくれました。私の偏差値からは無謀な高校を目指そうが、英語が赤点なのにカナダの大学に進もうが、東京の大企業を断わって名古屋の中小企業に入ろうが(P.D.R.のことです。そして実家は埼玉です)、一切反対しません。
「アナタが決めた事なら正解でしょう」の一言です。おかげで、幼い頃から「私は母に信頼されている」という実感があって、それが大きな自信になっていました。
子供を管理しないため、よく周りから「母親が放任主義だと、子供はしっかりするのねぇ(笑)」と言われていましたが、彼女はけして放任主義ではありません。たとえば中学生の頃、子供ながらに人間関係に疲れた私は登校拒否に陥りました。その時、母は責めもせず、理由を問いただしもせず、「じゃあ映画いこっか♪」とウォーターボーイズの映画に連れて行ってくれました。数週間後、何がきっかけで学校に復帰したのかは覚えていませんが、あの時に母が映画に連れて行ってくれた事と、そこで大笑いした事は覚えています。
強制しない、管理しない、でも放置じゃない。子供を好きにさせながら見守っているのが、私の母です。
「母親じゃなかったら、絶対こんなヤツと付き合わない」と思う反面、「この人がお母さんでよかった」とも思います。―そんな母と、お盆は2人でチェンマイ(タイ北部の町)に行ってきます。
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2013年6月号Vol.12 2013年06月30日
こんにちは、サクライです。生まれは福島、育ちは埼玉、勤務は愛知の私ですが、日本で一番好きな場所は瀬戸内です。先日、瀬戸内の島々をひとりでまわってきました。瀬戸内海はいわゆる大海原ではありません。
有人無人の島が点在しているため、水平線というものがないのです。海の青と島の緑のコントラストがとても綺麗で、更に海から立ち上る霧(きり)のためによく靄(もや)がかかって、風景がぼんやりと霞んで見えます。あぁ、幻想的・・・。日本最古の歴史書「古事記」に、神様の夫婦がポコンポコンと島を産む話があるのですが(日本列島の誕生)、それを思いだします。
古事記のような瀬戸内の自然に加えて、その風景に調和するように作られたアートがまた好きなんです。
瀬戸内が現代アートの聖地なのはご存知ですか?私は芸術がわかる人間でもないのですが、瀬戸内アートは好きです。絵画のように“目で見る芸術”よりも、建築物など“体ごと入る芸術”が多いです。目で見るのではなく、全身で感じるんです。
瀬戸内の“体ごと入る芸術”の中でも一番好きなところは…○○○です。その時に感じる事だけここに書きます。そこに入ると、自分が何か大きなものに包まれているように感じます。優しくて超越的な何かに守られているようでとても安心します。体の力が抜けて、ふわぁっと自分が浮いているような気もします。
そんな不思議な状態の中で、鳥の声や葉がざわめく音が聞こえてきます―もともとあったけど気づかなかった音に気づくんです。更には、風が見えるようになります。空気の匂いを嗅ぎます。私は、こんなに心地よい場所を他に知りません。 ※○○○は私だけの秘密の場所なので・・・ごめんなさい。
そんなわけでよく瀬戸内島めぐりをするのですが、島民の方々にはいつも助けていただいています。
路地を歩いていて―
私「こんにちは~、暑いですねぇ」
民「今朝うちの畑でスイカがとれたよ。食べてく?」
私「おぉ、食べる食べるぅ♪」
船に乗り遅れて―
民「どうした?」
私「船を逃しちゃった・・・」
民「本数すくないからなぁ。よし、おっちゃんの船を出してやろう」
私「おっちゃん漁師なの? ありがとう!!」
登山道の入り口で―
私「展望台ってここからどのくらいですか?」
民「歩いていくのか?! 遠いぞ」
私「がんばる」
民「・・・車出してやるから、ちょっと待ってて」
どうして皆こんなに優しいのでしょう。そして、親切がとても自然なんです。助けてやったという雰囲気がなく、サラッと助けてサラッと去っていかれます。とある島のおばあちゃんに、「皆どうして親切にしてくれるんだろう?」と聞いたら、「親切に理由なんてないでしょう」と言われてドキッとしました…都会は田舎よりも便利ですが、田舎よりも豊かかどうかは、また別の問題だとつくづく感じました。親切を新鮮に感じてしまう私は、何か大切な物を失っているのかもしれません。
さて、自然、芸術、人に惹かれて、先日も瀬戸内に行ってきました。メジャーなお土産とマニアックなお土産を買ってきたので、抽選で合計3名の方にさしあげます。詳しくは裏面をご覧ください☆
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2013年5月号Vol.11 2013年05月30日
さて、私サクライの母は福島っ娘です。結婚と同時に埼玉に移っていますが、出産前には福島に戻っています。
22年前―母は第二子出産のために福島に戻り、3才の私もついていきました。福島で私は保育園に通っていて、先日、その保育園の「れんらくノート」が出てきました。保育士さんが母宛に記す「今日のはるちゃん」の記録です(私の名前はハルカです)。読んでみると、あぁ可愛い…ではなく、三つ子の魂百までだな、と笑ってしまいました。
—–*—–
絵本音読の時間、はるちゃんは目をキラキラさせて聞いていました。その後はお絵描きの時間でしたが、「はるちゃん、つづき読んでる」と言って、一人で本を読んでいました。皆と違う事をしていても、気にならないようでした。
—–*—–
協調性がない…。規則を守らない…。今も変わりません。社会人になってからも、ある定例会議に一度だけ出て、「私には必要なさそうだから、もう出ない」と言ったり…。会社の仕組みにケチをつけ、場合によっては変えてしまったり…。評価してくれる人もいるし、「どーしようもない奴だ」と言う人もいます。P.D.R.では受け入れられていると思います…たぶん。
—–*—–
今日のはるちゃんは大活躍でした。お遊びの時間にミッキーマウスマーチをかけると、急にお庭に飛び出し、ノリノリで踊り始めました。みんな最初はびっくりしましたが、「はるちゃん上手だねぇ」と注目し、一人また一人と外に出て、ダンスに加わっていきました。
—–*—–
ははは、この頃から踊ってたのか…。今でも頻繁に踊っています。週に最低1回、多いと3回、私はZUMBA(ズンバ)を踊るんです(ラテン系のダンスフィットネス。激しいです。動画検索すれば出てきます)。ZUMBAをしながら、脳内の仕事の整理をします。ZUMBAをしながら、仕事のアイデアが生まれます。歯ブラシのチラシをご覧になったら、「サクライがZUMBAをしながら考えた」と思っていただいて、十中八九まちがいありません(歯ブラシは私の担当商品です)。
—–*—–
はるちゃんが鼻クソを並べていました。「どうしたの?」と聞くと、「丸めたのと、皮みたいなのと、乾いてるのと、濡れてるの、味がどう違うが調べるの」と言うので笑ってしまいました。並べていた鼻クソは没収しましたが、その後、先生達に隠れて、はるちゃんが鼻クソを食べているのを見つけました。私に見つかった事に気づくと、「へへへ」と笑ってごまかしていました。
—–*—–
鼻クソを食べ比べていた日から22年後、私はP.D.R.で歯ブラシの担当をしています。
弊社や他社の歯ブラシを並べ、時には自分で切ったり削ったりした歯ブラシを並べ、デスクで歯を磨いています。
何事も、知りたければ、まず口に入れる習性は変わりません。初めの頃は、デスクでおもむろに歯を磨きだす私に、周りの人はビックリしていました。しかし、やがていつもの光景となり、今では誰もつっこみません。
私は歯ブラシで良い結果を出せていると思いますが、そんな歯ブラシ担当サクライの原点は鼻クソだったわけです。
さて、鼻クソから始まった私が作った最新作―とっても可愛いくて、プラーク除去力もバッチリの「お姫様歯ブラシ」という期間限定品が販売中です。鼻クソからお姫様まで進化したんだから、22年の月日ってスゴイですね。
女の子は胸キュンの可愛い歯ブラシです!気になったら、5-6月セールチラシのP.10をのぞいてみてください。
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2013年4月号Vol.10 2013年04月30日
こんにちは、サクッと小噺のサクライです。
いつもは私の個人的な話をつれづれなるままに書いていますが(えぇ、恋愛相談から家族の恥まで!)、今回はちょっと違うテーマでお送りします。
震災から2年が過ぎ、被災地に縁のない人にとっては「過去の事」になりつつある東北の話です。
私達P.D.R.は愛知県にあるのですが、日常生活における震災の影響は影をひそめ、それに伴い、私達の記憶も薄れつつあるように感じます。きっと他の県でも同じではないでしょうか。
震災が起こった直後は、被災地の歯科医院様・技工所様に物資の支援をしていました。
グローブ、マスク、歯ブラシなどなど、私達の商品が役に立つならぜひ!という気持ちでした。そして震災から2年が経ちました。復興はまだ始まったばかり、またはスタートさえ切れていない地域もあるのに、東北への世間の興味は薄れていく昨今…これはマズイ。私達P.D.R.に、いったい何ができるのでしょう?
P.D.R.皆で知恵をしぼりました。う~ん……。
―私達は全国にお客様がいます。そして、通販という形態で物を紹介する仕組みも持っています。
この仕組みを使って、日本各地のお客様に「東北の今」を伝える事ができるんじゃないか?
そうして始まった東北めぐり。弊社の山男・竹内が、東北の歯科医院様・技工所様を訪問してお話を伺い、小冊子を作る事にしました(全3回。vol.1は3月にお届けしました。vol.2は5月、vol.3は7月DMに同封予定です)。
それぞれ辛い記憶を胸に抱えながらも、従業員や患者さまの為に前を向いて奮闘する姿に、竹内は涙を流します。
勇気づけるつもりが逆に勇気づけられ、「この人達の事を全国のお客さまに伝えよう!」という熱い想いを持って、竹内はP.D.R.に帰ってきました。
また彼は、東北の経済に少しでも貢献しようと、ご当地のドレッシングとカレーを大量に買いつけてきました。
陸前高田市の醤油の老舗「八木澤商店」の醤油ドレッシングと、石巻市の水産会社「木の屋 石巻水産」の鯨カレーです。たくさん仕入れるからといって値切ったりはせず、竹内は定価で購入(ドレッシング470円・カレー600円)。これを、P.D.R.のお客様に、そのまま定価で紹介しよう。
P.D.R.には一銭も入らないけど、現地の企業に全額入ればいいじゃないか!!
帰社後―。
サクライ「…竹内さん、男気あふれる企画だけど、いくらなんでも 発注しすぎ!こんなに売れるかあっ!!」
竹内「俺は感動したんだっ! 俺の力なんてちっぽけだけど、全力でやりたいんだっ!!!」
サクライ「…………」
竹内が発注しすぎました。皆さん、手を貸してください。
東北の復興支援、参加していただけませんか?
裏面のご注文用紙で復興支援品をご注文いただけたら、送料はいただきません。
もちろん、支援品と共に歯科材料をご注文いただいて合計が4800円に満たなくても、送料はいただきません。
ささやかながら、私達から東北への支援とさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
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2013年3月号Vol.9 2013年03月30日
こんにちは、サクライです。
今更ですが、私たちP.D.R.は通販です。よって我が社の営業マンはカタログとチラシ…すなわち、「紙」です。
(※ネット通販もやっていますが…→http://www.pdr.co.jp/)。さて先日、そんな営業マンが生まれる場所をのぞいてきました―そう、「印刷工場」です!
カタログやチラシの原料は、紙とインクです。工場に納品される紙はグルグル巻きで、見た目は巨大なトイレットペーパーです。重さはだいたい800kg!!コレが4本積み上げられていて、震度6までは倒れてこないそうです。しかし、浸水すると紙が溶けて、倒れる危険性がるので大急ぎで逃げます。
この紙に、黒・青・赤・黄の4種のインクをかけあわせて印刷をしていきます。巨大な機械が4つ並んでいて、1機に1色のインクが入っています。
紙は、これらの機械を順番にくぐります。黒インク機械をくぐると、黒が印刷されるべき個所に黒インクがのります。次に青インク機械をくぐると、重ねて青が印刷されます。赤・黄色でも同様。4つ全てをくぐると、印刷が仕上がっているというわけです。今年のカタログ表紙には、クリアピンクの歯ブラシや紫の服を着た私が載っていますが、このピンクと紫も、黒・青・赤・黄のインクのかけあわせで出来ているのです。紙は高速で流れていきます。
シャアァァァ――――!!!爆音。思わず機械の隙間をのぞき込み…「サクライさん、インクが服についたら絶対とれないですよっ!!」
印刷後、重ねた紙の片側を糊付けして、紙の端を裁断して、「本」の形になります。この工程もすごかったのですが、小噺には収まりきらないので割愛。
大量の原料、20億円の機械、技を持つ人員、広大な敷地・・・カタログ1冊作るのも大変です。
このカタログが無料で歯科医院様・歯科技工所様のもとに届けられるのだから不思議です。それでいて、印刷工場・弊社・歯科医院様・歯科技工所様、皆に利があるから作られるカタログなわけで…。テクノロジーってすごいですね。経済の仕組みって恐ろしいですね。
弊社のカタログ以外にも、いろんな物が印刷されていました。世の中は紙で溢れています。宇宙人が人間を調査したくなったら、印刷会社は情報の宝庫でしょう。しかし、高校の道徳の教科書が作られている隣で、エッチな雑誌が作られている光景もあって、こーゆー場面に遭遇したら、宇宙人は混乱するだろうなぁと思いました。
「人間って、一体なにを考えて生きているんだ??」
善く生きようとする一方で、エッチな刺激を求める。スイーツ食べ歩きをする一方で、歯を守ろうとする。それが人間ですよ。印刷工場は、人間の頭の中がのぞける場所でした。あぁ楽しかった♪
印刷工場さん、見せてくれてありがとうございました!
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2013年2月号Vol.8 2013年02月28日
こんにちは、サクライです。25才女子です。
今25才の方、何を考えていますか?昔25才だった方、何を考えていましたか?
先日、高校時代の友達と集まりました。大人になっても、彼女たちに会えばあっという間に高校生に戻ってしまう・・・そんな仲間だったのですが、この前は違いました。大きな距離を感じました。
25才女子6人です。社会人1年目~3年目、恋人はいたりいなかったり、性格は様々ですが悪い子はいなくて(しいて言えば私が一番問題がある)、ハッとする美人ではなくとも平均程度にはかわいいです。高校は進学校でしたが誰もエリートには成長せず。可もなく不可もなく、フツーの女の子達だと思います。
そんな彼女達のメインテーマは結婚と出産でした。「ウェディングドレスに憧れ」とか「仕事やめて専業主婦」なんて非現実的な妄想ではなく、明確なビジョンを持った結婚と出産です。
「子供は2人欲しいからさ、そろそろ結婚しなきゃ。1人目を20後半、2人目を30前半」
「35才過ぎるとリスク高まるっていうからね。子育てにも体力は必要だし、若いうちにしたい!」
「彼の年収も300-350万程度だから、寿退社ってわけにはいかないよねー。最初は共働きかなぁ」
「子供できたら正社員は辛くない?だから在宅ワークできるような資格をとるつもり」
25才女子って、こんなにしっかりしているものでしょうか?!
こんなに現実を見て生きているものでしょうか?!
サクライ絶句です。自覚なかったけど、私はチャランポランでした。
友「ハルカはどうしたいの?」(※私の下の名前です)
私「わ、私はチェンマイに住みながらP.D.R.で働きたい」
友「・・・」
友「彼と結婚はしないの?」
私「チェンマイに住みながらP.D.R.に
勤めて、彼と一緒に住めたら嬉しい」
友「・・・」
その日の帰り道、私はひどく落ち込みました。
5年後、彼女達には旦那も子供もいて、私と遊ぶ暇なんてないのでしょう。こんなチャランポランな女、彼はとっくに愛想を尽かしているでしょう。新しい彼氏はいるでしょうか?30才─男をつかまえるのは今よりずっと難しいのではないでしょうか。
実家も遠いし・・・私は一人になってしまいます。
───そしたら、猫を飼おうと思います。
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2013年1月号Vol.7 2013年01月30日
こんにちは。皆様、お正月モードは抜けましたか? 食いしん坊サクライは、最近ようやくお餅三昧の日々を抜け、そろそろ来月のチョコレートに意識が向きつつあるところです。ふふふ・・・。
さて、バレンタインに女性から男性へチョコレートを贈るのは日本だけ―ということをご存知の方は多いでしょう。欧米では、むしろ男性から女性にプレゼントをする日です、
私は、20代前半をカナダで過ごしたのですが、そこでは、男性から愛しい女性に薔薇を贈る日でした。毎年2月14日、花屋さんには男性の行列ができます。高そうなスーツに身を包んだエリート風の男性、汚れたツナギを着た職人風の男性、毛糸の帽子をかぶって杖をついているおじいちゃん、制服を変に崩して着ている男子高校生、まだ10歳にもなっていない小さな男の子・・・。いろ~んな男性が、薔薇を買い求めるために寒い中並んでいるのです。見ていると胸がきゅ―――――――――ん!っとします。
カナダで迎えた最初のバレンタインの時のこと。花屋さんの行列を見て、「羨ましい。私ボーイフレンドから花なんてもらったことない」と呟く私。「えぇっ?!日本の男って・・・」と驚く友達。ホントですよ、もうっ!
日本の女性だって、花もらったらすごく嬉しいのに!私を哀れんだ友達が(残念ながら女子)、その日の夜、1本のバラをプレゼントしてくれました。初めてもらった薔薇、とっても嬉しかったなぁー。しかし男だらけの列に並んだ彼女、「君はレズビアン?」と聞かれたとか(笑)。
それでは日本のバレンタインは間違っていて欧米のバレンタインは正しいのかというと・・・そうでもないんですね。日本はチョコレート会社が喜び、欧米は花屋が喜ぶ、どちらも起源からはズレています。バレンタインの起源はなかなか過激なのです。
3世紀頃、ローマ帝国の話です。「愛する人がいると士気が下がる」という理由で、兵士は結婚を禁じられていました。愛する人がいるから故郷を去って戦争に行きたくない、愛する人がいるから戦地から生きて帰りたい・・・ゆえに結婚禁止。
それを不憫に思ったキリスト教司祭バレンティヌス(バレンタイン)は、こっそり兵士を結婚させてあげていました。美しい話ですが当時は反逆行為。バレンティヌスは捕えられ、処刑されてしまいます。愛し合う二人を祝福したから死刑!!バレンタインはそんな日です。なかなか過激でしょう?
聖バレンティヌスの武勇伝は忘れ去られ、「愛の日」というハッピー要素だけが浸透しているのがバレンタインデーです。恋人たちにとっては「私とアナタがこの世の全て」で、彼らのために死んだ聖バレンティヌスが入る余地はないのでしょう。そんなもんです。大学で宗教学を専攻していた私でさえそうなんですから。でも・・・今だけ思い出してあげてください。自分の命を犠牲にしてまで、他人の愛を祝った人物がいたことを・・・。
★チョコっと宣伝★
チョコ風味のハミガキ剤をご存知ですか?低刺激で易生分解性、
カラダと環境に優しいハミガキです。
お洒落なチューブに入っていて化粧品のようです。
どうしたって歯に良くないチョコレートを贈るときに、
ハミガキ剤も添えてみては?私は、父と彼氏にあげます。
大好きな人の歯は、愛しいものですから・・・
※1 低刺激:合成界面活性剤、発泡剤、アルコールフリー。
超微粒子研磨剤で研磨力を抑えました。
※2 易生分解性:有機物が水と二酸化炭素に分解されることを
生分解性といいます。28日間で60%以上が
分解できると「易生分解性」といい、一般的に
環境への負荷が少ないものと評価されます。
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2012年12月号Vol.6 2012年12月30日
こんにちは、サクライです。もうすぐお正月ですね。家族でゆっくり過ごす方も多いのではないでしょうか。
私も埼玉の実家に帰ります。そしてサクライ家は百人一首で遊びます。
上の句を読まれたら、下の句を思い出してとらなきゃいけない・・・。普通のかるたと違って、札には字し
か書いてない・・・。つまらなそうーと感じられるかもしれませんが、やってみるとメチャメチャ楽しいんです。
記憶力と集中力と瞬発力を競い合う競技です。ハマります。
自然を詠んだ句は、情景が目に浮かぶようです。「嗚呼、綺麗だ」と思います。
恋を詠んだ句は、きゅんっ?とくる句もあるのですが、私から見ると「気持ち悪い」「暗い」「しっかりしろ!」
と言いたくなるようなものが大半です。
昔は夜な夜な男性が女性のもとへ通い、女性は心開くまで逢瀬を拒むという文化がありました。待つ女性が
「ねぇどうして来てくれないの?待つ身にとって夜がどれほど長いか想像できて?」とか、拒まれた男性が「一
人で寝るのは寂しいよー。死んじゃうよー。」とか言う句が多いです。
句が読まれるとパシッ!パシッ!と取るわけですが、面白すぎて一言申さずにはいられません。
妹「あしびきの~、山鳥の尾の・・・」
(下の句:「一人の夜はとても長いよぉ」と続く)
母「さっさと寝なさいっ!」パシッ
私「この人たち働いてないから、寝る前に
ちょっち運動しないと眠れないんだよ」
母「なるほど・・・」
父「文化が発達する時代だよなぁ」
妹「つぎ読みますよ!」
家族で百人一首というと優雅な家庭を想像されるかもしれませんが、サクライ家では実際はこのように下衆な
話をしています。百人一首に飽きたら花札です(昔の賭け事。やっぱり下衆だなぁ)。それに大晦日の除夜の鐘
つき、神社に初詣、ウィーンフィルのニューイヤーコンサート、箱根駅伝…サクライ家は、年末の大掃除は手を
抜くくせに、遊びの方は全力です。家族それぞれお気に入りは違いますが、私は百人一首が一番好きです。今か
ら楽しみです。わくわく。
では最後に好きな句を二つ・・・
《自然の句より》
秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ
(秋風に雲が吹かれ、その隙間から洩れる月の光ってばなんて美しいんだろう)
左京大夫顕輔
《恋の句より》
忍ぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで
(隠しているつもりなのに 恋心は顔にでちゃってるみたいお前好きな人がいるんだろって 聞かれちゃうくらいなんだもん)
平兼盛
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2012年11月号Vol.5 2012年11月30日
「まだ間に合う!クリスマスまでに恋人探し」
最近、Yah●o!のトップページによく出てくる広告です。「余計なお世話だ」と思います。昔から腹が立っていたのですが、なぜクリスマスは恋人と過ごす日なんでしょうか?そもそもクリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日です。彼のお母様は処女懐胎だし※1、イエスだって恋愛経験はなかったハズです※2。彼の愛は全人類に注がれる無差別の愛であり(アガペーと呼ばれるやつですね)、恋愛とは違います。よってクリスマスと恋人達は何の関係もない。恋人への愛なんて、それこそ特定の人だけに注がれる差別的な愛ではないですか。イエスの愛とは真逆です。一体いつから、日本のクリスマスは恋人達の日になったんでしょう。
誰かの陰謀でしょうか。(私が大学で専攻していたのは宗教学です。)
※1 母マリアは、男女の交わりによってイエスを受胎したのではなく、処女のまま妊娠・出産したという信仰です。だからクリスマスにラブホテルが繁盛するなんて現象は、まったく矛盾も甚だしい。
※2 妻帯者という説もありますが、いわゆる“正統派”の説によれば、イエスは恋愛することなく生涯を終えています。
さて、昨年のクリスマスの話です。悲劇というか喜劇というか…実家にいる妹が、号泣しながら電話をかけてきました。彼女は私と違って、クリスマスには恋人がいて当然というバラ色の人生を送っています。しかし昨年はクリスマスちょっと前に彼氏と別れ、急に予定があいてしまいました。そこで彼女は、久しぶりに両親と過ごす事に決めたそうです。ツリーを飾り立て、ケーキを手配し、シャンパンを買って、ご馳走を作って…。そんな娘の愛を知ってか知らずか、イヴの直前、母がインフルエンザで倒れました。
喘ぐ母を見て、遅いとは思いますが父と妹は二人連れだってインフルエンザの予防接種に出かけたそうです。しかし病院で、父は注射を拒まれました。
父「おれ注射受けられないらしい」
妹「えっ?!」
父「熱があるんだって」
妹「・・・・・」
そう、イヴ当日に、父もインフルエンザで倒れたのです。家族で幸せなクリスマスを過ごす準備は万全だったのに、妹は突然一人になってしまいました。
妹(電話)「おねぇ、クリスマスケーキが減らないんだよ。ずっと食べてるけど、一人じゃ食べきれないんだよ。」
妹(電話)「ご馳走を一人で食べても美味しくない。これだったらカップラーメンの方がよかった。」
妹(電話)「今日(12/25)だってさ、一人で昨日の残りご飯とケーキ食べてから、私、バナナとポカリ買ってきたんだよ。だって2人ともバナナとポカリしか食べられないって言うんだもん。クリスマスに、一人でバナナとポカリ買いに行くんだよ!なんで私がこんな目にあわなきゃいけないの…!!」と涙声。
彼女は泣きながらバナナとポカリを連呼していました。
バナナとポカリが、虚しさの象徴だったのでしょう。
恋人と別れ、彼女はとても寂しかったと思います。しかし愚痴もこぼさず、「ならばお父様とお母様のために」と健気にクリスマスの用意をしてきたのに、土壇場にきて、二人は病人になってしまいました。
看病のために遊びに出る事もできません。彼女はどれほど落胆したでしょう。
もう不憫やらおかしいやら…「うんうん」と話を聞きながら、私は笑い出してしまわないようにギュッと唇を噛んでいました。次に出た言葉は「太らないようにね。」一人クリスマスに慣れた姉の冷めたアドバイスでした。
このように、クリスマスが特別な日なばっかりに、傷つく人もいるのです。
この日を楽しむのはいいけれど、あんまり煽らないでほしいものです。
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